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佐野研二郎の原案パクり疑惑(東京オリンピック)に見るパクリの定義


佐野研二郎氏がデザインした2020年東京オリンピック公式エンブレムの原案にパクリ疑惑がありました。

ここで言う「原案」とは、佐野研二郎さんが1番最初に東京エンブレムのデザインとして提出したものです。
その後2度の修正を行い、現行案となっています。

その原案が、1月に行われた、20世紀モダン・タイポグラフィの巨人ヤン・チヒョルトの展覧会で使用されたロゴのパクリという話が出てきました。

両者を見比べてみると、確かに似ています。
そっくりと言っても過言ではありません。

佐野氏は複数のデザイナーとともにデザインしたサントリーのキャンペーン商品がパクリだと認めています。
そしてそのサントリーのデザイナーの件で、ロゴを無断で使用されたとしてアメリカのデザイナーが佐野氏に対して挑戦状をたたきつける等、事態は拡大するばかりです。

インターネットの世界は今回の様な件に関して面白おかしく「パクリだ」と騒ぎ立てる傾向があります。
これは20世紀から変わっていません。
むしろ人間の本質なのかもしれませんね。

しかし何でもかんでもオリジナリティーを出すのは至難の技です。
パクリは悪いのか?どこからがパクリなのかを考察してみました。






そもそも学習する時はパクリから始まる


小学校の授業を思い出していただけると分かりますが、先生の言う通りに行う事から始まります。
特に算数の解法等はその典型でしょう。

そして体育や部活動でも、コーチの言う通りに行います。
「自分で考えろ」
というコーチはあまり見たことありません。
コーチは自分の手法に信念を持っている事もあり、自分の言う事を丸ごとコピーしろという考えの方がほとんどです。

そして就職します。
そこでも先達社員の言う事を丸ごとコピーする事から始まります。

  • お客様との電話対応マニュアル
  • 名刺交換や食事接待等における振る舞い
  • プログラマなら、優れたコーディングを模倣する
等々、パクリから始まるといって過言ではないでしょう。

よって一概にパクリが悪いとはいえません。
むしろパクリによって、ほぼ全ての人材が一定以上の品質を持った「製品」として完成するのです。






狭き門でのパクリはどうか?


しかし今回の佐野氏は東京五輪という、何十年に1度というイベントのデザインを手がけるという機会をもらったわけです。
前述の様な多くの人材を一定水準への戦力へと押し上げるのとは訳が違います。

是非オリジナルデザインで勝負してほしかったです。
こんな風に書くと、まるで東京オリンピックのエンブレムがパクリだと決め付けてしまっている様ですが、実際前述のサントリーの件でパクリを認めてしまいましたからね。

どうしても「今回もか?」と疑ってしまうわけです。

どこからがパクリかは難しい


しかしパクリというのは、そういった第一線の世界でも使われているのが現実です。
そもそも何かを作成するとき、少なからず他者の影響を受けているのです。
毎回完全オリジナルを製作できるのなら、全て特許が取れてしまいます。

パクリ(?)の例として
  • オマージュ : 他者の作品の1部を、自分が作成する作品に取り込む
  • インスパイア : 他者の作品を手本に制作する
  • そしてパロディー
といったものが現実に認められているわけですから。

もちろんそれらは元ネタへの敬意があっての事なので、パクリ(?)と明言しています。
また、原作者も悪い気はしないし、それによって再び自分の作品にフラッシュが当たるというメリットもあります。

しかし今回のパクリの場合はそういった明言が無かったわけですので、厳しいですね。

多摩美術大学教授で教鞭をふるう佐野研二郎氏のお立場が気になります。
もう十分社会的制裁を受けているので、あまり騒ぎ立てないというのも必要かもしれません。







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