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野坂昭如と大島渚の殴り合いの理由「僕も悪かったがあなたも悪かった」

政治家を務めた経験もある野坂昭如(あきゆき)氏が、映画監督の大島渚と殴り合いの喧嘩を公衆の面前でした事がありました。
そしてそれがテレビニュースで放送されたのです。

その殴り合いをリアルで見ていた者としては、野坂昭如の事を気性の荒いおっさんだなと思ったものでした。






大島渚の結婚30周年パーティーで殴りあい


大島渚監督と嫁の小山明子さんの結婚30周年パーティーが1990年10月23日に行われました。
古くからの友人であった野坂昭如さんも出席したのです。

祝辞を述べる予定だった野坂昭如の順番を大島渚が飛ばしてしまった事で、随分と待たされる事になり、その間に野坂昭如はベロンベロン状態になったのです。

そして祝辞を述べたのですが、いまいち呂律が回っていない状態で読み上げました。
大島渚をdisる内容も含まれた祝辞でしたが、それは2人がそういう関係だからこそ出来るのでしょう。

大島夫妻も歯を見せながら笑顔で聞いていました。

そして読み終えた瞬間、大島監督の顎を右拳で殴ったのです。
大島監督も負けじとマイクで2回野坂氏の頭を殴打する殴り合いとなったのでした。

奥様の小山さんが仲介に入って、その場は収まりました。






僕も悪かったがあなたも悪かった


この殴り合いの映像は、後日ニュースで放送されたました。
殴り合いの直後に大島監督が
僕も悪かったがあなたも悪かった
と、野坂氏を殴ったマイクでスピーチしていたのを覚えています。

2人はその後和解しました。
親友だし、お互い殴るという五分五分条件ゆえに、簡単に和解されたみたいです。

そういった時代だった


野坂昭如氏は1930年10月生まれ。
終戦時の1945年には、中学3年生だった計算になります。

その世代というのは戦争の厳しさを体験されたゆえ、場合によっては暴力的な事を行う事もあったと思います。
実際いくら酔っ払っているとはいえ、祝辞で右フックを入れるなんて豪快な人は今の時代にはありえません。
しかも仮にも議員を務めた経験がある人なのに。

そして戦争体験から、反戦運動も多々なさってきました。
また1人、昭和・戦前が亡くなってしまいました。
だんだんと寂しくなるものです。






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